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勉強になりました。

 投稿者:上月  投稿日:2009年 8月10日(月)16時16分6秒
  巨椋池のことを知りたくて、こちらのページにたどり着きました。
大山崎の歴史資料館で、巨椋池の話をうかがい、
そうか、天王山の戦いの頃って、今と地形が違うんだよな、と。
京都の歴史を勉強しても、巨椋池のことは無視されていることがほとんど。
でも、伏見城や淀城を理解するにも、
平安時代の交通のことを考えても、
無視できない重要な場所なんですよね。

こちらのページは、本当に参考になりました。
過去の書込みが削除されているので、
うしさんがどんな方だったのかわかりませんが、
一言、お礼までと思い書き込みさせていただきました。
ありがとうございました。
 

(無題)

 投稿者:サンシーロ  投稿日:2009年 6月30日(火)20時48分52秒
  うしさん。 お会いできないんですね。
巨椋池の成り立ち参考になりました。
事後承諾で申し訳ありませんが、戦国時代の位置図を
京阪線を書き込み朱雀復活のテーマで使わせていただきました。
ご容赦ください。
 

前川についてのアドバイス

 投稿者:内田盛夫  投稿日:2009年 4月20日(月)03時19分53秒
  前川という川だと書かれていましたが、正式には「前川排水幹線」(まえがわはいすいかんせん)と呼びます。一口(いもあらい)というのは地名です。もともと、巨椋池(おぐらいけ)という琵琶湖をしのぐ池があった所です。一口とは、その池と宇治川とがつながる場所にあり池の水の流れが芋を樽で洗う時の水の渦の流れに似ているので、「芋洗い」とついたとか。これは有力説のひとつです。最有力説は、江戸城を建てた太田道灌という方が、自分の娘が「疱瘡」(ほうそう)にかかり困っている時。ここ巨椋池にある一口の場所で願をかけて、その池の水を娘の疱瘡にかけて手当てをすると、無事治ったという話があります。つまり、「疱瘡」を昔は「イモ」と呼んだそうで、そのイモを洗う。(疱瘡を清める)という意味。「いもあらい」とは、昔からご祈祷または斎事を行った場所だったようです。ちなみに一口には、東一口と西一口があり、古いのは西一口です。今は、東一口の方が住民は多いですが・・・。私は東一口の住人です。また、昔、一口の池の畔で斎事を行っておられたのは、「齊藤氏」です。そう、斎藤利光。そうです。本能寺の変で有名な明智光秀の家臣の斎藤一族です。つづきは、また後日。  

巨椋池氾濫原

 投稿者:もーさん  投稿日:2009年 4月19日(日)22時15分33秒
  巨椋池のこと、よく調べられていて、参考になりました。おなくなりになったんですねぇ。ざんねんです。昔から授業で巨椋池の変遷をとりあげていたのですが、横大路沼あとからオニバスやミズアオイが蘇ったのを知って、かつての氾濫原の自然がとりもどせないかと思っています。  

(無題)

 投稿者:Syo  投稿日:2009年 1月14日(水)20時11分36秒
  当サイトの管理人・うしさんは、2003年5月20日に急逝されました。
当掲示板のみ活きておりますが、質問に対してのご返答は、うしさんからは不可能です。

向島みちこ様
ご覧になったかと思いますが↓のコラムで解説されていますのでご参考に・・・
うしさんほど詳しい資料は、持ちあわせておりませんが
桃山御陵の造営、線路の撤去費用、町の地形、軍隊があったり、あと伏見は酒処ですので地下工事を酒造組合が、大反対したと聞いております。
これら諸事情でそうなったかと推察されます。的確な答えになっていないと思いますが、ご参考になれば幸いです。
http://218.228.195.159/~ushisan/pages/special.pages/tetsudou.html

amun様
>「Pチャンズ」さんの伏見稲荷のホームページも楽しく見せていただいています。一の峰の三角地点や将軍菩薩の存在は知りませんでした。
ご覧頂き、ありがとうございますm(__)m
私がサイトを立ち上げるキッカケになったのは、うしさんです。
逝去された日とサイトの立ち上げ日が奇しくも同じ日という不思議な、ご縁もございます。
また、お気軽にアクセスしてやってくださいm(__)m

http://miyakoweb.web.fc2.com/

 

国鉄奈良線

 投稿者:向島みちこ  投稿日:2009年 1月11日(日)20時36分39秒
  初めまして。よろしくご教示下さい。
昭和初期、国鉄奈良線(現JR奈良線)が当時の路線(奈良電鉄、現近鉄奈良線)から旧東海道線の廃線跡に移行したその理由が理解できません。桃山御陵から稲荷までの路線新設、更に丹波橋付近の急カーブ、宇治方向への迂回など問題もあったろと思われるのですが。認識の誤りもあると思いますのでそれも含めてお教えくだされば嬉しく存じます。
 

はじめまして

 投稿者:amun  投稿日:2009年 1月 4日(日)13時08分20秒
  バス停で竹田街道に「七瀬川」というところがありますがその源流が大岩神社ですか。でも結局暗渠化されてしまうのですね。
「藍染川」という川も元々南区の竹田街道大石橋辺りに流れていたようですが今は暗渠になっていて下水溝からゴーという川の流れしか聞こえません。

「Pチャンズ」さんの伏見稲荷のホームページも楽しく見せていただいています。一の峰の三角地点や将軍菩薩の存在は知りませんでした。
 

私説公開

 投稿者:石垣眞人  投稿日:2008年11月28日(金)14時59分5秒
  「平成の黙示録」という表題の私説を公開しています。
http://makoto-ishigaki.spaces.live.com にアクセスしてください。
 

面白かったです

 投稿者:てん  投稿日:2008年 8月28日(木)23時11分45秒
  僕も巨椋池が大好きです。
このページを興味深く読ませていただきました。ありがとうございました。
本当に素晴らしい内容です。次回の文も楽しみにしております。
 

東一口にいきました。

 投稿者:トムキャット  投稿日:2006年 5月 9日(火)20時20分10秒
  まったく偶然でしたが。ひがしいもあらいにいきました。本当はほかのところにいくつもりがあの界隈に迷いこんだのがなんかの縁でしょうか。貴兄の写真はいいですね。景色はのほほんとした感じのふりきよき時代を思い出だしました。桜の季節はややおそく残念でしたが。
300ミリの望遠レンズでもあのサギを撮るのはむつかしいです。逃げ足のはやいやつですね、
 

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